大手門 |
諸大名が威儀を正して登城した江戸城の正門。 1607年(慶長12)、藤堂高虎によって完成した後、1620年(元和6)の江戸城修築の際に伊達政宗によって現在のような枡形門になりました。 現在見られる大手門は、1658年(万治元)再建の高麗門と、1967年(昭和42)復元の渡櫓門からなる枡形門です。 |
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天守閣跡 |
1607年(慶長12)、二代将軍秀忠の代に最初の天守閣が完成。その後大改修が行われ、三代将軍家光の代に外観5層、内部6階、地上からの高さ58mの国内で最も大きい天守閣が築かれました。しかし1657年(明暦3)に起こった明暦の大火で焼失し、その後再建されることはありませんでした。 現在約44m四方、高さ約18mの天守台石垣が残っています。 |
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二の丸庭園 |
二の丸御殿と、小堀遠州作と伝わる庭園があったところ。 戦後、徳川家光の時代の絵図を基に、遠州庭園の名残りをとどめた池泉回遊式庭園が復元されています。 |
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同心番所 |
「番所」とは、警備の詰所のこと。 同人番所は、大手門を入って二の丸に行く手前、大手三之門の一つ「一之門(本丸大手門にあたる)」を警備する番所。主に登城する大名の供の監視に当たっていました。 |
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大番所 |
大番所の前の「中之門」から本丸になるので、厳重な江戸城の警備の中でも特に重要な場所だったところ。他の番所よりも位の高い与力・同心によって警備されていました。 |
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富士見櫓 |
「櫓」とは、倉庫や防御の役割をもった建物。かつて江戸城には19の櫓があり、現在は伏見櫓、桜田二重櫓、富士見櫓の3つが残っています。 その中で富士見櫓は、明暦の大火(1657年)で焼失したまま再建されなかった天守閣の代わりとしても使われました。 |
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松の廊下跡 |
本丸御殿の大広間から白書院へ通じる大廊下。松と千鳥の障壁画があったころから「松の廊下」と呼ばれていました。 赤穂藩主浅野内匠頭の刃傷事件が起きたところとしても有名で、現在はその跡を示す碑が立っています。 |
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石室(いしむろ) |
抜け穴とか、金蔵とか、諸説がある石室。 しかし石室がある場所が大奥御納戸の脇にあることから、非常の際、大奥用の調度などを納めたところではないかと考えられているようです。 |
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