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1469年(文明元)創建。 1564年(永禄7)に起きた国府台合戦により焼失してしまい、1653年(承応2)に法印隆教によって再興されました。 観蔵寺に祀られている寿老人は、高さ9cm木造のかわいらしい座像。一般的に見られるような寿老人とは違い、鹿を連れず、頭巾もかぶっていません。 1915年(大正4)に建てられ、震災と戦災を逃れた本堂に祀られています。
【 住所 】: 東京都葛飾区高砂5-5-2 |
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医王寺に祀られている恵比寿像(秘仏)にはある言い伝えが残っています。 室町時代、のちにこの寺の住職となった源珍聖人が四国遍路の途中、村人から恵比寿像を戴きました。その尊像を祀って、山中で21日間修行を行い、満願の日に下りて川に行くと水底から砂金があふれるほど見つかりました。 以来、恵比寿像を祀れば商売繁盛すると世に広がり、源珍聖人が医王寺に移り住んだことからその恵比寿像は医王寺に祀られています。
【 住所 】: 東京都葛飾区柴又5-13-6 |
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宝生院は、かつて徳川家の寺の一つとして上野にありましたが、1923年(大正12)に起こった関東大震災のため、1927年(昭和2)に現在地へ移りました。 本尊の大黒天は鎌倉時代に彫られたもので、「出世大黒天」とも呼ばれて崇敬を集めている大黒様。全身が真っ黒、口の中だけ真っ赤という、一目見たなら忘れられない姿をされています。 江戸時代には徳川将軍家からも信心されていたと伝えられている大黒様です。
【 住所 】: 東京都葛飾区柴又5-9-18 |
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万福寺には、柴又七福神の福禄寿が祀られています。 この福禄寿の年代は不明ですが、もとは穴戸家に伝えられていた家宝仏であったもの。それが万福寺に奉納され、祀られるようになりました。 1月いっぱいはご開帳されているそうです。
【 住所 】: 東京都葛飾区柴又6-17-20 |
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良観寺に祀られている宝袋尊は、「布袋尊」ではなく、「宝袋尊」と記すのが特徴です。 これは江戸時代初期、商人が都からの帰りに山中で日が暮れてしまったため、民家の宿を借りて一夜を過ごしました。朝になってみると民家だと思ったのは大木のうろの中。うろの中には布袋尊がありました。そこで商人はその布袋尊を店に持ち帰ってお祀りしたところ、大いに商売が繁盛したそうです。商人は多くの人にもご利益を分かち与えたいと、「宝袋尊」と称して良観寺に奉納されました。 その宝袋尊は、1945年(昭和20)の空襲で焼失してしまい、現在は新たな尊像が祀られています。
【 住所 】: 東京都葛飾区柴又3-33-13 |
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806年(大同元)創建とされ、古い歴史のもつ真言宗のお寺。 境内には、江戸時代前期の作と伝えられる五智如来(薬師如来、宝生如来、大日如来、阿弥陀如来、不空成就如来)石像が祀られています。 また真勝院の本堂には、八臂の弁財天が祀られています。 一般に弁財天というと、琵琶を弾いているふくよかな姿の像が多いですが、もとは8本の手に弓や剣を持つのが本来の様式だそうで、真勝院の弁財天は本来の姿なのだそうです。
【 住所 】: 東京都葛飾区柴又7-5-28 |
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柴又帝釈天は、正式には「経栄山題経寺」と称する日蓮宗のお寺です。 寛永年間(1624〜1644)創建といわれ、日蓮聖人親刻と伝わる本尊 板彫りの帝釈天像が安置されています。 柴又七福神の一人、毘沙門天は帝釈堂内陣の本尊の左側に祀られていますが、ふだんは開放されておらず、正月7日間と庚申の日に拝観することができます。毘沙門天は別称「多聞天」とも呼ばれ、四天王の一人、北方守護神でもあります。
【 住所 】: 東京都葛飾区柴又7-10-3 |
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