大門 |
芝大門の交差点に立つ、増上寺の総門。あたりの地名の由来になっている門です。 1937年(昭和12)に原型より大きく、コンクリート製に作り直されました。 |
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三解脱門 |
1611年(慶長16)、徳川家康公の助成により、幕府の大工頭 中井大和守の配下によって建立された楼門(重要文化財)。 この門を潜ると3つの煩悩「食欲・瞋恚・愚痴」から解脱できるとされ、略して「三門」とも呼ばれています。 楼内(非公開)には、京仏師によって作られた釈迦三尊像や十六羅漢像などが安置されています。 増上寺初期の伽藍を偲ばせる貴重な門です。 |
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大殿 |
1974年(昭和49)に再建された増上寺の本堂。 室町時代に造立された本尊の阿弥陀如来像をはじめ、1681年(天和元)造立の多聞天・広目天像、1714年(正徳4)造像の四天王像、法然上人像、(高祖)善導大師像が安置されています。 |
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安国殿 |
徳川家康の念持仏だった恵心僧都作と伝えられる本尊・阿弥陀如来像(別名・黒本尊)や聖徳太子像、皇女和宮像などが安置されています。 黒本尊は、家康の天下取りへの道を開いたことから、勝運のご利益を授けてくれると信仰を集めています。 |
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経蔵 |
1605年(慶長10)に徳川家康の助成によって建立された経蔵。 9間半(約17m)四方の一重白壁土蔵造りで、内部中央に八角形の輪蔵を安置し、家康公寄進による宋版・元版・高麗版の各大蔵経が納められていました。 |
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旧方丈門 |
かつて本堂の北側にあった方丈(庫裡)の表門として建てられた四脚門。 17世紀後半頃の造立と推定され、全体が黒漆で塗られていたことから「黒門」とも呼ばれていました。 |
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大梵鐘 |
4代将軍徳川家綱の命により、奥方のかんざしなど多くの寄付を集めて江戸ではじめて造られた、高さ1丈(約3m)、重さ4000貫(約15トン)の大梵鐘。1673年(延宝元)、鋳物師(いもじ)椎名伊予守によって品川御殿山で鋳造されたものです。 時を知らせるその鐘の音は、木更津(千葉県)まで届いたといわれています。 |
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水盤舎 |
もと清揚院殿(3代徳川家光公三男、甲府宰相綱重)の霊廟にあったもの。明治時代の解体、昭和の空襲を逃れ、現在の地に移築されました。 柱には波を形どった刻り物があります。 |
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徳川将軍家墓所 |
門はもと文昭院殿霊廟(6代将軍徳川家宣)の宝塔前にあった「中門」。左右の扉に葵の紋が入り、青銅の「鋳抜門」と呼ばれる門です。 墓所には2・6・7・9・12・14代将軍と正室、側室の墓があります。 |
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熊野神社 |
1624年(元和10)、当時第13世正誉廓山上人が増上寺鎮守のため、東北の鬼門に熊野権現を勧請して祀った神社です。 「ユヤ」権現の名で親しまれています。 |
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め組供養碑 |
増上寺門前の町火消しで有名な「め組」の殉職者のために立てられた碑。1716年(享保元)に建てられました。 |
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西向観世音、 千躰子育地蔵尊 |
子育て・安産に霊験あらたかといわれる西向観音。 1975年(昭和50)からは西向観音にちなみ、子供の無事成長、健康を願って子育て地蔵が順次奉安されています。 |
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