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天徳年間(957〜60年)創建と伝えられ、かつては隅田堤の外側、水神森近くにありましたが、江戸時代初期に現在の地に移りました。 本尊の毘沙門天は弘法大師の作と伝えられる、総高約50cmの立像です。 昔、本堂の前には大きな松の老木があり、その根元に棲みついた古ダヌキがいたずらするので村人たちは悩んでいました。困った住職が本尊の毘沙門天に祈ったところ、ある夜、毘沙門天の門下の禅尼師童子が現われ、狸を懲らしめ村人たちを救ったという伝説が残っています。
【 住所 】: 東京都墨田区墨田5-31-13 |
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951年(天暦5)、慈恵大師が関東に下った際、近江国志賀郡打下(現・滋賀県高島町)の白鬚大明神の分霊を祀ったのがはじまりと伝えられる歴史ある神社。 白鬚神社には隅田川七福神の寿老人が祀られています。 隅田川七福神の中でなかなか見つからなかった寿老人。「白鬚と申し上げるのだから、白い鬚を生やしたご老体のお姿であろう。」ということから白鬚大明神を長寿の神様、寿老人に当てたことでめでたく隅田川七福神が完成したといういわれをもつ寿老人です。
【 住所 】: 東京都墨田区東向島3-5-2 |
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隅田川七福神めぐりの発祥の地。 向島百花園は、1804年(文化元)、日本橋で骨董品を営んでいた佐原鞠塢が引退後に開いた園です。およそ1万平方メートルの敷地には、四季折々の花が咲き、句碑や石柱、池などがあり、唯一現存する江戸時代の花園です。1978年(昭和53)には国の名勝・史跡に指定されています。 向島百花園に祀られている福禄寿は、佐原鞠塢がもともと大切に持っていたもので、園内の奥に祀られています。
【 住所 】: 東京都墨田区東向島3-18-3 |
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寛永年間(1624〜44年)、3代将軍徳川家光がこの辺りで鷹狩りの途中、腹痛を起こしました。当寺の住職が庭中にあった井戸水を加持し、その水で薬を飲んだところ快癒したことから、その井戸は「長命水」と命名し、寺名も「長命寺」に改名されました。 長命寺に祀られている弁財天は、琵琶湖竹生島に祀られている弁財天の分身とのこと。小像ながら六臂の姿で、表情も毅然とし、「老女弁天」とも呼ばれている弁天様です。
【 住所 】: 東京都墨田区向島5-4-4 |
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黄檗宗大本山・宇治黄檗山万福寺の末寺で、1673年(延宝2)に名僧・鉄牛和尚によって創建されたお寺。境内右手の小祠には、風邪除けの信仰を集める「咳の爺婆尊」が祀られています。 その弘福寺には、本尊の釈迦如来を安置する本堂の一隅に、ふくよかなお腹とおおらかな笑みをたたえた布袋尊像が祀られています。
【 住所 】: 東京都墨田区向島5-3-2 |
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文和年間(1352〜56年)、近江国三井寺の僧 源慶が東国巡礼の途中、弘法大師創建の由来を持つ荒れた祠を見つけ、再建に着手しようと地面を掘ったところ、神像が出土しました。すると、突然どこからともなく白狐が現れ、神像の周りを3回巡って消え去りました。この故事から「みめぐり」の名が付いたといわれています。 三囲神社の本殿の左手には、恵比寿神、大国天の2神が祀られています。 江戸時代、越後屋(現・三越)の大黒柱だった木材を利用して彫造されたものだそうで、かつては越後屋に祀られていたものでした。
【 住所 】: 東京都墨田区向島2-5-17 |
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